渋谷のハロウィン騒動、否定のロジック

渋谷でのハロウィンの騒ぎについて、2018年も色々な問題が報道がなされていて、ここまでエスカレートするのであれば何か抜本的な対策が取られると良いなぁと感じています。


ただ一方で、この「渋谷ハロウィン」を否定するときにはそのロジック(論法・論拠)に気を配る必要があるとも感じています。なぜなら、その否定のロジックが、自分達のカルチャーに向けて跳ね返ってくる、いわゆる「ブーメラン」になる可能性があるからです。



例えば、あなたが参加するイベントを想像してみてください。

花火大会とか、お神輿を担ぐような地元のお祭とか、コミケのようなイベントとかがあるとしましょう。それらにも渋谷ハロウィンを否定するのと同様のロジックを当てはめてみたときに、その理屈を受け入れられるでしょうか。


いくつか例を挙げて考えてみましょう。

・迷惑だから

迷惑に感じたのは誰でしょうか? 渋谷以外の場所で生活している「あなた」だったとします。その場合、例えばコミケに参加しない無関係の人が「コミケはバカ騒ぎでしかなく迷惑なイベントだから止めるべき」と言ったら、その主張は受け入れられるべきでしょうか。

・地元に住んでいる私が迷惑だから

あなたが実際に渋谷に住んでいて迷惑を受けているとします。では、花火大会やお祭りの地域の人が「バカ騒ぎする人たちがきて実際に迷惑を被っているからイベントを中止すべきだ」と言ったら、その主張を受け入れるべきでしょうか。

・ハロウィンなんて(日本において)伝統も何もないのでくだらない

伝統というのは何年間続いたら「伝統」になるのでしょうか? 5年?10年?30年? あなたが何か新しいイベントを楽しみにしていたとして、それはくだらなく、価値のないものなのでしょうか?

・そもそもハロウィンはバカ騒ぎするお祭りではない

確かに日本のハロウィンは本場(?)とは違ったイベントになっているかもしれません。しかしイベントは「当初の意図通り」にしか楽しんではいけないのでしょうか? 例えば「コミケはそもそもコスプレをする場ではない」などと楽しみ方のスタイルを狭める意見には賛同するでしょうか? イベントの楽しみ方、可能性を定義するのは外野のすることでしょうか?

・犯罪行為が横行しているから

犯罪行為は非常に問題です。しかしあなたの行くイベントで犯罪が起きたことを理由にそのイベント自体は中止されるべきでしょうか?
例えば、お祭りやコミケなどで置き引き、スリなどの犯罪は実際に起きていますが、それを理由にイベントを中止するべきでしょうか? お祭りやコミケを楽しみにしていた人達はどうすればいいのでしょうか? 批判されるべきはイベントではなく単に犯罪者そのものではないでしょうか。



これらはもちろん「渋谷ハロウィン」を否定してはならぬ、という趣旨ではなく、物事を否定するときはそのロジックに注意して慎重になるべきということです。


「自分が参加しない」から、あるいは「自分とは違うカルチャーだから」といって排除論を振りかざすと、いつしか自分の参加するイベントにも同様の排除論が降り掛かってくるかもしれないよ、というお話でした。



#余談ですが、逆に考えれば、自分が参加するイベントが社会から認められ継続していくためには、参加者のモラル・マナーや自治がいかに大事かを噛みしめる必要があるのかもしれませんね。