「萌え」はキャラクターの記号化なのか?

上記の話から派生して。
私が東方キャラに魅力を感じるのは、彼女達が「作られたような」性格付けをされておらず、あくまでも自然に自我を持っているように感じられるからなのかもしれません。

あからさまに「作られた」性格付けをされているキャラクターは、その背後に「作者の意図」を感じてしまい、個性が薄っぺらなものに感じられてしまいます。
一方、わざとらしくない、自然な性格付けをされたキャラは、そこにキャラクター自身の自我とか意思を感じることが出来るようになります。そこに魅力を見出していけるのが本当に萌えるキャラクターなのではと。

一時期、「萌えって結局はキャラの記号化でしょ?」というような論調が流行った気がするのですが、そのように記号化のみ作られたようなキャラは、心に残ることなく消費されて消えていくだけのような気がします。