「エンディング」をもう一度

 「クリア」の無いオンラインゲームやソーシャルゲーム全盛の時代。コンソールゲーム機でも「無限ダンジョン」「図鑑埋め」など、いつまでも遊べるやりこみ要素が満載の時代。

 一つのタイトルを売り切りで稼いでまた次の(当たるか分からない)次回作に賭けるのではなく、一つのタイトルがヒットしたときにそこで継続的に収益を上げるというゲームビジネスモデル全盛の時代。

 そんな時代だからこそ、今、明確な「クリア」「エンディング」のあるゲームというのを欲している気がする。


 やりこみ要素というのは、ときにユーザーへの強迫観念として、ゲームから遠ざけてしまう効果があると考えている。

 FF4でカトブレパスを取り逃したとき、FF6で某キャラを助けなかったとき、必須な要素ではないのに、セーブデータを消して最初からやり直すかどうか悩んだ。

 遊べる時間がたくさんある場合はそれでも良いけど、子供の頃ほどにはゲームに時間が掛けられない中、図鑑をコンプリートしたときの達成感を味わうことはもはや無く、達成できない状態の穴あきの図鑑を見せられるだけになる。


 私にとっては、そういう要素はもうお腹いっぱいになっている気がする*1。明確に用意された、普通に遊んでいれば誰でも到達可能で、達成感の得られるゴール。つまり「クリア」があるゲームがやりたい。


 クリアまで50時間とか100時間とかは要らない。15時間とか20時間くらいで良い。ゲームを1日に1時間遊び、数週間くらいで気持良くゲームの全ての要素を遊びつくしエンディングを迎える。達成感とともに数日の間ゲームの余韻をしばらく味わい、そしてまた次のゲームを物色する。*2


 クリアが無いゲームが世の中に溢れかえっている今だからこそ、その反動として「クリアのあるゲーム」がまた見直される時代が来るんじゃないだろうか。

*1:といいつつ、最近はもっぱら「アイドルマスターシンデレラガールズ」を日々の合間に遊んでいるのだけど

*2:逆転裁判」シリーズ辺りはボリューム感も達成感もちょうど良い